上海蘭蘭

中国で工場経営20年、マダム蘭子の日記。

息子ハタチに想うコト

某月某日、息子のお誕生日。

そっかー。

20年もたったかー。

感慨深い。。

某月生まれの帝王切開で産まれた子なのだが、旦那さんは、日にちにこだわった。

手術は、某月8日か18日28日のどれかにして欲しい。もしその3候補がダメでも最低でも某月10日にして欲しい。

など ゴネまくり。。

当時大阪の病院だったのだが、旦那さんは当時まだ日本語がそんなに達者ではなかったので、

大きなお腹の私が通訳。。。

まあ、結局そんなわがままが通る訳もなく、予定通りの当初のお日にちでも無事出産。

その頃、我が家は、

超ビンボーだった。

私の仕事復帰の為、

息子は確か生後6ヶ月くらいか、可哀想なくらい赤ちゃんの時から保育園に入った。

上の子と2人保育園に入れていたので、すごい荷物で保育園に通ってた。

お着替え、干した布団、洗った上履き、毎日二冊の連絡帳。

ワーキングウーマンの子育ては、日本では本当に大変。

商社での中国生産の仕事だったので残業も避けられない。

今思い出しても身震いする。

結婚したから、子供がいるからという事で、

仕事が出来なくなった、とか言われたくなかった、当時のワタシ。

バカみたい。。。

そして中国に来た。

会社を作って、工場を作った。

確かに立ち上げは大変と言えば大変だったけど、子育てはずっと楽になった。

中国では、女の人も仕事するのが結構当たり前の風潮なので、その点は本当に楽。

家事は、全面的にアイさんを頼りにして仕事に集中する事が出来た。

日本に出張したりした。

 

滑ったの転んだのと言ってる間に、あっという間に、ハタチになった。

若い頃、結構いい給料で働いていて海外出張も頻繁に行き、駐在員にもなって、調子こいてたと思う。

でも、いつも自分の居場所側ない感じが拭えなかった。

何も楽しくなかった。

心から笑った事がなかったと、思う。

子供が好きでもなかった。

でも産まれてきてみたら、その愛おしさに胸がいっぱいになった。

滑った、転んだと言ってる間に、あっという間に、息子 20才だと。。。

息子、遠いところにいても 君がハッピーであれば良いと思う。

お誕生日おめでとう。

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